子どもと関わる大人として思っていること

子どもと関わる大人として思っていること

先日、私が生き方や意見において尊敬する一人であり、友人(私の思い込み?)である若林さんの facebook での主張に関して、ちょっと意見が異なって(?)いて、でも一言で説明できなかったので、久しぶりにブログにしてみました。長文です。ご容赦ください。

ちなみに、今、クライアントのサイトのバックアップとリストアをバックグラウンドでしながら書いている状態です。www

今回記事を書き始めた理由の記事は以下です。

CoderDojo奈良・CoderDojo生駒 マインクラフトカップ2022について

https://coderdojo-nara-ikoma.github.io/blog/minecraft-cup-2022/

基本的に「マインクラフトカップ2022に応募しようと活動しましたが、断念した理由」を書かれています。まず、先に言い訳(?)させていただきますが、この決断を行ったことを批判したり非難する気は一切ありません。CoderDojoに関わる皆さんでしっかりと考えた上で決めたことでしょうし、子どもたちも理解した上での決断だったと思うからです。

では、何に私個人の意見として「うーーーん」となってしまったかというと、今回の課題に関して、現時点での若林さんの改善に対する結論が以下のように書かれていた所です。

「進行管理は大人が行う」

多分、この結論に辿り着いた理由の一つとして、(違うかもしれませんが)子どもたちに成功体験(納得して応募まで辿り着いた)をさせたいという考えがあるのでは無いかと思っています。それは悪く無いのですが、個人的な意見ですが大人が率先して失敗体験もしくは中途半端になってしまった体験も導くべきだと思います。そして、一旦は区切りをつけさせるべきかなと。

子どもたちに広い範囲(できればすべて)を任せる

私は、子どもたちに出来るだけ広い範囲を任せて、あくまで大人は管理はしない方がいいと思う教育理念を持っています。(もちろん、危険管理は別です。)子どもに関わる大人はあくまで複数の方向性を提示するにとどめる役割であった方がいいと思っています。なぜそう考えるかというと、大人が先回りすると子どもたち本人が自分ごとと考える癖がつきにくいのではないかと思うからです。

なぜ、私がそう思うかというと、今まで私が関わった多くの大人は自己解決能力が低いと思ってしまているからです。世界的に日本は特に低いと思っています。主観ですが。

もちろん、一定数の大人は、自分で考えて行動し、自分で取れる範囲の責任を考えて実行する力を持っているのを垣間見ています。若林さんも含めて Coder Dojo に関わる人の多くはその一人だと思っています。

ただ、私の今までの経験上、自分に関わる事象や課題に対して私事として自己解決に動こうと思っている人が少ないと思います。特にPTAなどに関わっているので子育てや子どもの未来に関して活動をしていると多く思います。

今まで私が関わった、多くの大人が口を揃えて言っているように感じるのが
「なんで私がそれをやらないといけないの?誰かにやってもらいたい」
「そんな責任がかかることはしたくない」
「私はそれをやったことがないから出来ない」
というような事なんです。

論理的に上記の反論をすることもできるのですが、人間は感情がある生き物で、弱気になったりすることもありますし、分からなくはありません。ですが、自分がやるべきだと思っていることに関しても上記のように考える大人が多いと思います。そして、個人的な意見としてこういう考えをする大人が多いのは、今までの教育に大きな原因があると思うのです。

私たちが受けてきた教育(1972年生まれ)

私たちが受けてきた教育の根底にあるのが、「平均化して失敗しないようにして生きること」だと思っています。もう、50年前の社会状況で作られた仕組みなので、50年前の状態を批判する気は一切ないのですが、この状況を令和の今でも続けているように感じる教育はどうなんだろうかと思ってしまうのです。

どなたかの言葉で私が初めて認識したか忘れたのですが、「学校は子どもが安心して失敗できる場所であるべきだ」という言葉に私は共感し感銘を受けています。また、それが理想だと思っています。

なのに、私が受けてきた教育の根底には「成功を目指し、失敗は恥ずかしいものだ」と刷り込まれてきた感覚があります。

なので、私に関わる子どもたちに「失敗を沢山してほしい。そして、その失敗から多くを学んでほしい。成功しなくていい。失敗から多くを学べた時点で成功だと思う」と私はいつも伝えています。そして、私の失敗談を多数話します。会社を倒産させて自己破産したことを話すこともよくあります。大腸全摘出をして、大腸がないことも包み隠さず話します。それでもほらみんなの前で笑顔で生きているよねって。そして、今でも挑戦をしているから失敗もたくさんしているよと。

自ら考えて行動して失敗をしないと本当の学びは少ない

んで、結論なのですが、できる限りのすべてを子どもたちに任せるべきだと思います。

なので、進行管理も子どもたちに任せるべきだと思います。
ただ、マネージメントの意識を持たせることは必要だと思います。私が子どもたちに社会で成功している人がよくやっていることとして伝える言葉の一つである「準備8割、実行2割」です。これを実践できるように導けたらいいなと。

私が中学校の部活動の中でおこなっていること

多くの Coder Dojo では小学生が多いので、私が関わっている中学生の部活動のやり方がそのまま使えるとは思いませんが、参考までに紹介したいと思います。

ちなみに、MinecraftCupへの参加が2022年の今年で2回目です。なので、まだまだ改善点は多数あると思うのですが、基本的に子どもたちが考えて行動し、それを大人はサポートすることに徹しています。でも、やはり学校の先生が関わるので、先回りしてしまっている部分もありますが、出来る限り自分達で気がついて改善できるように進めています。これが100%できていないのは事実です。

2021年最初の年にやったこと

まず、MinecraftCupに参加することを前向きに検討したのは、子どもたちからの希望です。顧問の先生から「子どもたちがMinecraftCupに参加したいと言っているのでご協力をお願いします」と連絡がありまして、検討することにしました。MinecraftCupの存在に関しては、部活動の中で子どもたちに何回か「こういうのがあるよ」と伝えていましたが、私や先生が主導して「MinecraftCup」に参加しよう!とは意識的にしないようにしました。一度、先生からそういう打診がありましたが、子どもたちの自主性を尊重することと、学びのために子どもたちがやりたいと言ってきたら全力でサポートしましょうということで話していました。

そしてMinecraftCupに参加を検討してから、私以上に顧問の先生や校長先生が教育委員会と多くの折衝をしていただきました。基本的に、地方の教育委員会は「Minecraftってゲームでしょう?」という姿勢です。教育版があり、世界的には教育で活用されていると幾ら説明しても、「子どもは管理しないとゲームをやり続ける」という考えが染み付いていました。ただ、今回の件で運がいいことがありまして、教育委員会の中の方でMinecraftCup に関わっている方がいらっしゃったことです。その方のご協力を元に、1年をかけて教育委員会に説明をしてMinecraftCupに参加することができるようになりました。

ちなみに、今回の件で、「子どもは管理しないとゲームをやり続ける」という事実はありませんでした。その理由の一つになったのは、子どもたちにMinecraftに関連する部活動でのルールを作ってもらったことです。子どもたちがそのルールを部活動の顧問に出して、顧問と学校及び教育委員会で検討してもらって、活動できるようにしたのです。

ここまではちょっと話がずれましたが、MinecraftCup に参加できるようになるまでの経緯です。そして、参加できる準備が整ってから、保護者と子どもたちに説明を行いました。

最初の目標はどんな形でも応募すること

そして、部活動の希望者のみ MinecraftCup に参加するということです。希望者以外は scratch や他の活動をする形で行いました。活動は基本的に学校で行うのですが、様々な家庭環境があり、家庭での考え方が多様性を尊重した形です。なので、一定数は MinecraftCup に参加していません。

また、最初の目標は「応募すること」にしました。これも、子どもたちと一緒に決めた内容です。私も顧問の先生も含めてですが、初めての活動なのでどうなるか分からないのですし、今回の件に関しては多くの大人が尽力してくれたこともあるので、その方達に感謝を伝えるために「応募」を目標にしました。

また、もし応募ができなかったとしても良いと。でも、できる範囲で考えて行動しようと伝えました。初年度の活動だったので、いろいろ問題はありました。途中でチーム参加者が不参加になったりなど。ただ、そのすべてを認めました。色々とモヤモヤした子どもたちもいたと思います。ただ、基本として「強制をしない」ことと、様々な考えや状況を尊重することを大事にするようにしていたので、多分学校生活で大きな問題は起こらなかったと思います。私の知らない部分で起こってしまっていたかも知れませんが、その場合は申し訳ないなと思いますが。

正直に言って、最初の計画通りに行ったチームは確か無かったかと思います。初年度は本当に申し込み締め切りの前日にどうにか全てが揃った(正直子どもたちも納得はしていない部分はあったと思います)感じでした。そして、当初参加したチーム全てが応募することができました。

もちろん、技術というか学校のソフトの制限で1分の動画の編集は私が全ておこないました。動画の録画は子どもたちの操作を録画した形です。

今年はこんな感じで MinecraftCup は活動しました

そして、去年の体験をした子どもが中心に今年はスケジュールを作りました。今年は私が9月の頭に九州出張があったので、動画録画を9月1日までに終わらせるなどの制約もありましたが、そのためのスケジュールを作り、子どもたちがそのスケジュールに合わせて完了しました。実のところ、私の方が仕事が忙しくて、スケジュールを1日押してしまったということがありますが。。。子どもたちはドタバタしながらも大枠スケジュール通りにまとめてきました。

あと、去年と違って、今年やってよかったよねという内容は中間報告会を催したことです。応募までの中間ぐらいの時期に、どこまで出来て今後どうする予定ということをみんなの前で話す機会を作りました。そして、その時に他の子どもたちの意見も聞いたりできるようにしました。これによって、残りの時間を意識することと、新しい視点も少し手に入れられたのではないかと思っています。

んで、今年もやっていて思ったのが、どのチームもほとんど、当初の目標通りに行っていないことです。

実は去年の経験をもとに、私や顧問の先生と共有した認識があります。「まちづくりに完成形はない」という認識をもとに、最初の計画通りに作らなくて、作っている上でのピボットも大いに歓迎しようと。より良いものを作るためには、途中でこっちの方がいいんじゃない?という柔軟な考えがないとより良いものは作れない。計画や準備をすることは大事な要素だけど、計画通りにすることが最終目的ではなく、その時点でより良いものを作ることが最終目的であるはずと。

そんな感じで、今年も完成した5チームのまちはすべて素晴らしい出来だったなと個人的には思っています。今のベータ版として、あの子たちの一番の出来だと思っています。

私の考えとしての結論

そして、これは若林さんなどへの提案的な提言になると思うのですが、「応募すること」を目標にして次回は参加されたらいいのではないかなと。

私たち大人の仕事もそうですが、一般的に期限というものが定義されているはずです。その期限内にどこまでより良いものを作れたかによって仕事は評価されると思います。このMinecraftCupなどは、その子どもたちの練習として利用したらいいのではないかと。

期限があるからスケジュール管理も含めて、マネージメントが必要となってくるし。

そして、そのマネージメントを大人がやっちゃうと、せっかくの子どもの学びの機会を奪ってしまうことになるのではないかなと。子どもたちがやりたいという物事に関しては、自分ごととして考えているはずなので特に。

また、もし応募出来なくなってもいいよと。ただ、応募出来なかったときは、どうしてできなかったのかをしっかりと考えようと。犯人探しをするのではなくて、未来へ繋ぐ経験のために考える形で。

と、つらつらを書いてみましたが、我ながら文章力がないなと思いつつも、多分、大枠わかってもらえるように書けたのではないかということで、公開することにしました。

一意見として、皆さんの参考になればと。

追伸 – ちなみに私はマインクラフトをほぼやったことがありませんし、やっていません。出来る子どもたちに教えてもらったり、ググってその場で解決方法を一緒に見つけたりしています。あくまで、一緒に目標に向かってサポートする形に徹しているだけです。それでも、意外とうまく行っています。

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