先日、地域の教育委員会が主催して人権研究会というのがあったので、参加してきました。

正直に言って、時間の無駄になってしまったなと言う内容で、アンケートにも「まったく役に立たない」に丸を付けて帰ってきたのですが、否定するだけではまったく無価値なものになってしまうので、私なりに個人的な意見としてこういう風にすれば良いのではないかなと今考えていることを書いてみようかなと思いました。

なんで、時間の無駄に感じたのか。

この人権研究会(正式名称は異なります)に関しては、そもそも否定的な立場にいたということが大前提にありました。なので、なおのこと今回強く時間の無駄になったなと思ってしまったのだと思います。

今回「PTA・子ども会」が題材の分科会に参加したのですが、実はそもそもが私の所属してるPTAが当番校として指定されて、本来なら(?)私達が発表をしないといけなかったのですが、ボランティア制にPTAを移行したことコロナ禍で活動自体何も出来ていないことを理由にお断りをしたという経緯があります。ただ、個人的な過去の経験から人権問題はしっかりと取り組まないといけない問題という認識を持っていたので、時間の都合が付いたので参加させてもらいました。

司会進行は学校の先生がなさっていたのですが、これは司会進行のプロではないので、そこまでうまくするのは難しいだろうなと理解しています。なので、その部分は別にしたとしても、開催終了が4時30分の予定で告知されて、他の分科会が終わっていない状態で3時半には終了というのはどうなんだろうと。これも、司会進行がうまく回せず、質問や意見が自主的にはほぼ出なかったので、致し方がないというのも理解は出来るのですが、そもそも質問や意見が出ないという所に大きな問題があることを考えるべきだと思うのです。

あと、司会進行の方が「なかなかコロナ禍で活動もできなかったので、ご意見も無いとは思うのですが」という主旨のことを何度か話されていたのですが、それだったら参加された方だけでも議論できる内容を前もって考えておくべきだったのではないかなと。民間の研究会でこれをやったら苦情の嵐というかそういう状態だと思います。無料開催だったとしても、個人的には「二度と行かない」となるかと思います。(ちょっと厳し目ですいません)

まあ、この部分も司会進行の方がプロではないのが原因の一つですが、実行委員会も含めて事前に考えておくべき内容だったのではないかと思います。(実行委員には知り合いもいるので、この記事で嫌われちゃうかもしれませんが、意見として読んでいただければ嬉しいです。)

今回このようになったのは、やり方を前年踏襲でやってしまったからだと思います。そもそも、人権活動自体がこのコロナ禍でここまで大きく異なっているのですから、その活動を議論し合う研究会も異ならないと行けないはずです。前年踏襲でやってしまったから、個人的な意見なのかもしれませんが「ただの時間の無駄」になってしまうのだと思います。もちろん、教員の方が主体でされているようなので、開催までに内容を話し合う時間の確保が出来なかったりしたことが想像に難くないのですが、なんのためにやっているのかを考えると、そもそもそれならしない方が良いのではないかと思ってしまうので。このような研究会(勉強会)というものは意義が無いと、協力は得られにくいのではないかと思います。

先に伝えておきますが、私が今回参加した分科会の内容だけでの判断となります。この分科会以外にもいじめや学習差を無くす、地域問題など、多種多様に渡る分科会がありましたので、そちらに参加したら私個人としては非常に有意義な分科会になった可能性はあります。ただ、他の分科会にも共通する問題点があるのではないかと思いますので、その点も踏まえて書いていきたいと思います。

人権活動研究会に参加した人にしか知識や思考が反映されない

例えば、今回私の参加した分科会の内容が運が悪かった。内容さえ良ければ良かったのか?

というのが、実はわたしは過去に何回かこのような会に参加させて頂いて、非常にためになる会もありました。ですが、参加した後にふと思ったのが、参加した人(例えば私の学校からの参加者が私だけだったりする)しか知識や思考に反映されないなと。もちろん、私が他の人に話聞かせたら良いという話もあるのでしょうが、そんなに人脈も無いですし、広げることは少なくとも私は出来ませんでした。

また、こういう研究会は「リーダー研修」だからという意味合いで話をされる方もいらっしゃいますが、そもそも参加者が「リーダーになろうと思って参加している」のでしょうか?特に地域の自治会やPTAなどの人権部の役員になった人が輪番や充て職で参加している場合、どうなんでしょうか?人権部に立候補して参加している方もいらっしゃると思いますが、その方がどのくらいなのか、冷静に考えるべきだと思います。

その上で想像してみてください。自分に興味のない事柄の事項の研究会に参加して意義を感じなかった場合、どのような感情を持つでしょうか?少なくとも私は「時間の無駄だから二度と参加しない」になってしまいます。他の方で話し好きの方だったら悪評を広めることでしょう。(この投稿もそうなってしまうかもですが。。。)

また、今の時代に地域のリーダーとして活動すると言っても、人権啓蒙まで出来るのか?と。もちろん、地域活動をする方が人権をしっかりと守ることに貢献できれば良いのですが、地域活動に強制参加を義務付けたりしている地域に関しては、その意義はやはりないのではないかと思ってしまいます。

そもそも人権活動ってなんのためにするのか

個人的な意見でもしかしたら私が大きく間違っているのでかもしれませんが、今のやり方は人権活動を啓蒙する以上に衰退させてしまう活動になっているのではないかと思ってしまうので。

特に先述したような「活動への強制参加」などがまかり通っている時点で、人権が侵害されている事を認識すべきかと思います。人権とは、「すべての人間が人間として尊重され、自由であり、平等であり、差別されてはならないこと」だと私は認識しております。その中で、大事にされることは「自由・平等・差別されない」の3つが柱だと思います。もし、この私の考え方があっているとしたら、何かしらの活動に対して強制が発生するのは人権を守られていないことだと思うのです。本末転倒ではないかと。

とある学校の教頭先生に血相を変えて「人権活動を促進するのは国民の義務であり、PTAが必ず行わなければいけない活動だ」と言われた時に「人権とは何か?」をしっかりと考えるきっかけになりました。このような強制の考えが人権の大切さの啓蒙の逆効果になっているのではないかと私は思ってしまうのです。

PTA や地域活動の中で面倒と思われる活動

PTA 活動をしている、もしくは今までの活動の中でやりたくない活動のリストの中で上位に位置するのが「人権活動」ではないでしょうか?これは、統計を取ったわけではないので、根拠は薄いですが、概ね2021年の現状にあっているのではないでしょうか?

こうなってしまった理由の一つには、共働き家庭が増えてきた関係で可処分時間が少なくなってきて、多くの人が時間に対して余裕のある生活が出来なくなってきたことが大きな原因だと思っています。多くの人が「人権の大切さ」は理解しているのですが、自分たちの自由や時間を犠牲にまでして行う活動なのだろうかと考えるようになったのだと思います。また、意識するしないに関わらず、大多数が差別をされる側ではなく差別をする側であるということもあり、当事者意識が少ないのだと思います。冷静に分析すると、私はこれが合っているのではないかと思います。

だから「人権活動をしっかりすべき」という考えに関しては、私は一切否定しません。どちらかというとほぼ同意です。ただ、正しい活動だからという理由で強制させることは人権侵害である上に、人権活動を悪者化してしまっているのではないかと思うのです。

少し残念かもしれませんが、人は当事者にならないと問題や課題を認識しません。ちなみに私もそうです。子どもがいない時には子どものことをしっかりと考えていませんでした。多分、一般の方よりも子ども好きだったので子どもの問題などを考えていた意識はあるのですが、実際に娘たちの親になった瞬間にその重要性は一気に上がり、多くの問題や課題を考えるようになりました。

また人種差別問題に関しても、アメリカで起業して展示会などに行った時に明らかにアジア系への差別にあったことから人種差別には根深いものがあるのだなと思いました。もちろん、大多数が西海岸では人種差別をしません。西海岸は多くの人種の方が住んでいるのでそうだと思うのですが、白人がほとんどを占める地区ではやはりアジア系は特に元々が住んでいなかった種族として差別とは言わないまでも「普通の人」としては見られにくい地域になってしまうことは理解できます。駄目だと分かっていても「差別とは違いあるものを排除する文化」だからです。

まずは当事者意識を持つようにする活動が大事なのではないか

このような私の体験からすると人権活動は人権問題の当事者だったりする人権に対して問題や課題を感じている人が主体になってすべきなのではないかと思います。そして、当事者意識がない人に少なくなった可処分時間を使ってでも参加したほうが良いのではないかと思ってもらえるような活動をし参加してもらうことだと思うのです。

なので、クジで決まった人や輪番で回ってきた人がやれる活動ではないのではないかと思うのです。もちろん、講演などに参加するぐらいだったら良いのですが、活動主体になれというのは、何か本質とはずれているように感じるのです。人権とは幸せになるための「自由・平等・差別されない」が基本の三柱だとしたら、これからずれているのではないかと。

人権活動には今こそマーケティングの感覚が必要ではないか

では、人権活動するにはどうすべきかという事を個人的な意見として言わせて(書かせて?)もらうと、今からの地域活動などのものも含めて少なくなりつつある可処分時間を使ってもらえるかどうかという事を意識しないと行けないと思います。

エンターテインメント業界でよく言われる「可処分時間の奪い合い」の中で戦わ(?)ないといけないということです。それには、やはりマーケティングの知識や経験が必要になってくるのです。この現状を見ずに楽しようと考えると強制参加させるという方向に動くのだと思います。そして、今の状況になったのだろうなということが想像に難くありません。

となると本気で人権活動を啓蒙したいと思うのなら、真面目というか今までの踏襲的な活動では広げることは出来ないと思います。だからと言って、エンターテインメント的なふざけたりして注目を集めるわけではいけないので、非常に難しいマーケティングの能力が必要です。多分、これを実現できた人がビジネスをしたら最強のマーケッターになっていると思います。

ということで、これは予言的なものになりますが、若い人で人権活動をする人がいたら、この(マーケティングや可処分時間の)意識を持たせて実行して多くの人が集めることが出来れば最高(最強?)のマーケティング経験が出来ると思います。私達おじちゃんや年配者は、今までの固定概念を捨てて、本質を押さえつつ一緒に考えるべきなのだと思います。

やることを中心に置くのではなく、本質を考えるべき

また、昨今の役所系の人権活動に関して思うところは、人権活動の本質を考えて、今までの活動を数年おきに見直す仕組みを入れるべきだと思います。多分ですが、今回参加した活動も根本的なやり方は10年以上変わっていないのではないかと思うのです。内容は変わりますが、やり方やアプローチを下手すると30年近く変えていないのではないかと。それで今も成立するのはやはり無理があるのではないかと思うのです。

過去に活動をしていた人たちは新しいことをする人たちのバックアップに徹すること。先回りして問題が発生しそうなら、発生した時にリカバリーが出来るように動くことが大事なのだと思います。やってみないと問題になるかどうかも分かりません。

新しいことをする場合は、必然的に失敗も必要なのです。それを許容していかないと、地域活動や人権活動は広がっていかないと思います。

本当に人権活動が大事だと思うのなら、本質だけをしっかりと押さえて新しい活動に変革しないといけない時期に来ているのだと思います。